子どもは100のことばを持っている――この詩的な理念をもとに、世界中の教育者に影響を与えているのが「レッジョ・エミリア・アプローチ」です。イタリア発のこの幼児教育法は、子どもを一人の能動的な表現者として尊重し、探究心と創造力を最大限に引き出すことを目的としています。
この記事では、レッジョ・エミリア・アプローチの基本理念や実践方法、世界中で注目される理由をわかりやすく紹介します。子どもと共に学び合う教育に関心のある方にとって、新たな視点を得られる一歩となるはずです。
目次
レッジョ・エミリア・アプローチとは?
表現活動や対話、プロジェクト学習を通じて、子どもたちの思考や創造力を引き出すことを目的としており、現在では世界中の教育現場で注目されています。日本でも保育・幼児教育関係者を中心に関心が高まっており、その理念や方法論が導入される園も増えつつあります。
イタリア北部レッジョ・エミリア市で誕生した革新的幼児教育
レッジョ・エミリア・アプローチは、第二次世界大戦後の1945年、イタリア・レッジョ・エミリア市の住民たちが「子どもたちにより良い未来を」と立ち上げた地域主導の保育運動に端を発します。
この動きを基盤に、教育学者であり教育心理学者であったローリス・マラグッツィ氏(1920~1994)が市の教育主事として中心となって体系化した教育法です。教師、子ども、保護者が「三位一体」で学びを築くという共同体的な教育観が特徴で、教室には鏡やアトリエ(表現室)を設置するなど、空間づくりにも工夫が凝らされています。
画一的なカリキュラムではなく、子どもたちの興味から生まれる探究プロジェクトを中心に構成され、自由と秩序のバランスを大切にした革新的な教育として世界中で評価されています。
「子どもは100のことばをもつ」──主体性を尊重する哲学
レッジョ・エミリア・アプローチの核心にあるのが、ローリス・マラグッツィ氏の詩「子どもには100のことばがある」に象徴される哲学です。この詩では、子どもたちが言葉だけでなく、絵、音、動き、遊び、構造物など多様な表現手段をもって世界と関わっていることが語られています。
つまり、「子どもは多様な表現者であり、受け身の存在ではない」という考えが前提となっています。このアプローチでは、教師は指示を与える立場ではなく、子どもの興味を引き出し、共に学ぶ“協働者”という立ち位置にあります。観察、記録、対話を通じて一人ひとりの成長を見守り、個性や思考を大切にすることで、子どもが主体的に世界と関わる力を育てていきます。
世界140か国に広がり国際バカロレア認定校でも実践
レッジョ・エミリア・アプローチはその革新性と実践成果から、現在では世界140か国に広がりを見せています。レッジョ・チルドレン国際ネットワークには世界34カ国の組織が加盟しており、アメリカ、スウェーデン、オーストラリアなどの教育現場でも注目されています。また、国際バカロレア(IB)の初等教育プログラム(PYP)を実践する一部の学校では、レッジョ・エミリア・アプローチが併用されている事例も見られます。
特に、探究型学習や自己表現を重視する教育機関において、レッジョのアトリエ活動やドキュメンテーション(記録による振り返り)は有効な手法として活用されています。さらに、保護者と教師が共に育ち合う文化は、教育コミュニティの質を高める取り組みとして評価されています。今後の日本においても、多様な保育・教育スタイルの一つとして広がりが期待される実践モデルです。
3つの中核原則を押さえよう
レッジョ・エミリア・アプローチを理解する上で重要なのが、実践を支える「3つの中核原則」です。これは教育の枠組みとして、子ども・教師・環境の関係性を再定義するものです。
どれも従来の保育観とは異なる視点から子どもの学びを捉え直し、探究心や創造性を引き出す土台となっています。以下では、それぞれの原則について詳しく解説します。
① 子どもを“能動的な共同研究者”と捉える
レッジョ・エミリア・アプローチでは、子どもは単なる知識の受け手ではなく、自らの興味や疑問に基づいて行動する「能動的な学習者」として捉えられています。さらにその存在は、保育者や仲間とともに世界を探究する“共同研究者”でもあります。
子どもが問いを立て、試行錯誤を繰り返しながら自分なりの答えにたどり着こうとする過程を大切にし、そのプロセス自体が学びであると考えます。そのため、保育者はあらかじめ答えを与えるのではなく、子どもの発見を尊重し、必要に応じて補助的な支援を行います。
こうした考え方により、子どもたちは自らの考えを表現し、他者と共有する力を育みながら、豊かな探究活動を展開していきます。
② 教師は“共同学習者”──問いかけと対話で学びを支援
このアプローチでは、教師は「教える人」という固定された立場から離れ、子どもとともに学ぶ“共同学習者”としての役割を担います。日々の保育の中で、教師は子どもの発言や行動を丁寧に観察・記録し、その意味を読み解くことで次の学びにつなげます。
特に大切にされているのが「問いかけ」と「対話」です。教師の問いが子どもの探究心を刺激し、そこから生まれる対話が新たな気づきや表現を導き出します。また、教師同士のチームティーチングや、保護者との継続的な対話を通して、学びの共同体としての環境が築かれていきます。このように、教師も子どもと同じく学びのプロセスに関わることで、教育そのものがより創造的で開かれたものになります。
③ 環境=“第三の教師”──空間そのものが学びを誘発
レッジョ・エミリア・アプローチにおける環境は、子どもと教師に次ぐ“第三の教師”と呼ばれ、教育において非常に重要な役割を果たします。教室や園庭の空間は、子どもの好奇心を引き出し、探索や発見を促すように設計されています。
たとえば、アトリエ(造形スペース)や光と影を体験できるコーナー、素材に自由に触れられる棚の配置などが代表例です。こうした環境は、子どもの表現を豊かにし、対話や協働を自然に生み出す仕掛けとなります。
また、鏡や展示を用いた「可視化」は、子どもの思考や学びのプロセスを記録・共有する手段としても活用されます。環境を単なる背景ではなく、子どもの成長を支える“対話する存在”と位置づけることが、このアプローチの大きな特徴です。
環境デザイン(アトリエ&プロジェクトスペース)の特徴
レッジョ・エミリア・アプローチにおける環境は、単なる背景ではなく“第三の教師”として位置づけられます。特に「アトリエ」や「プロジェクトスペース」は、子どもたちの興味・関心に応じた探究活動の拠点となり、空間そのものが学びを誘発します。
ここでは、光・素材・動線という3つの観点から、環境設計の特徴を具体的に見ていきます。
自然光とガラス壁で“可視化”された学びのプロセス
レッジョの園舎設計では、自然光をふんだんに取り入れることが重視されています。大きな窓や天窓、そして教室を仕切るガラス壁などを活用することで、室内外が開放的につながり、明るく柔らかな光が子どもたちの活動を包み込みます。
この「見通せる環境」によって、子どもたちが他のグループの活動を視覚的に感じ取り、自然な形で学び合いが生まれます。また、壁や空間には子どもたちの作品や記録写真が掲示されており、活動の“プロセス”を共有・可視化する役割も果たします。保護者や訪問者もその変化をひと目で感じ取ることができ、園全体が学びのドキュメンテーション空間として機能しているのです。
再利用素材を活かす〈レミダ(REMIDA)〉が創造性を刺激
レッジョ・エミリア・アプローチにおける「レミダ(REMIDA)」は、再利用可能な産業廃材を集めて分類・保管する独立したクリエイティブ・リサイクルセンターで、レッジョの創造的な環境づくりにおいて欠かせない要素です。中には、空き箱、布切れ、ボタン、針金、段ボール片など、日常では”ゴミ”とされる素材も多く含まれています。
こうした素材は、子どもたちの自由な発想を引き出し、「これは何に使える?」「どう組み合わせる?」といった創造的思考を促します。素材を”選ぶ”という行為そのものが探究の第一歩であり、保育者は素材の質感や色、機能に着目しながら子どもの気づきを引き出していきます。レミダは、循環・再利用というSDGs的視点も併せ持ち、持続可能な学びの場としても注目されています。
小グループベースで即興プロジェクトが生まれる動線設計
レッジョ・エミリアの空間設計では、子どもたちが自発的に活動を始められるよう、流動的かつ柔軟な動線が確保されています。大きな一室で全員が同じことをするのではなく、小グループが自らの関心に応じて異なる活動を展開できるよう、エリアごとにスペースが分かれていたり、素材や道具がすぐ手に取れる配置になっていたりします。
この設計により、「たまたま通りかかった子が、他の子の作品に刺激されて参加する」「一人で始めた制作が自然とチーム活動になる」といった即興性に富んだプロジェクトが日常的に生まれます。保育者は動線の流れを観察し、不要な干渉を避けつつ、子どもの集中を支えるポジション取りや素材の再配置を行うなど、環境調整を通じて学びの深まりを後押しします。
ドキュメンテーションの役割
レッジョ・エミリア・アプローチにおいて、ドキュメンテーションは単なる活動の記録ではなく、子どもの「学びのプロセス」を可視化し、共有し、次の探究へとつなげていく教育的ツールです。
写真・動画・メモなどを用いて、子どもの表現や対話、試行錯誤の過程を記録することで、保育者や保護者、そして子ども自身がその成長と気づきを振り返り、新たな発見や課題設定に生かすことができます。
写真・動画・メモで“思考の足跡”を見える化
ドキュメンテーションの第一の役割は、子どもたちの「考える過程」を具体的に見える形にすることです。活動中の子どもたちの様子を写真や動画で記録し、そのときの発言ややり取りをメモに残すことで、単なる成果物では見えにくい思考や気づきの軌跡を捉えることができます。
たとえば「どうしてそう考えたのか?」「何に困っていたのか?」といった内面のプロセスを可視化することで、保育者は子ども一人ひとりに応じた関わり方を見つけやすくなります。
また、これらの記録は保護者との共有資料にもなり、園での子どもの様子や成長の過程を伝える有効な手段となります。学びのプロセスを可視化することで、子ども自身の自己理解や自己肯定感の向上にもつながります。
壁面パネルで保護者・子ども・教師が学びを共有
ドキュメンテーションは、単に記録として保存するだけでなく、園内の壁面や共有スペースに掲示され、子ども・保護者・保育者の三者で学びを振り返る「共有の場」として活用されます。
壁面パネルには、写真やメモ、子どもたちの発言が貼られ、プロジェクトの進行状況や、子どもがどんな問いをもって活動しているのかが視覚的に伝わります。保護者にとっては、日常の保育を“見える化”する貴重な窓口となり、「うちの子は今こんなことに関心があるのか」と気づくきっかけになります。
また、子どもたち自身も掲示された記録を眺めながら、「これ、自分が言ったんだよ」と友達と話し合ったり、自分の発言が大切に扱われていることを感じたりする経験を通じて、自己効力感を高めていきます。
振り返りミーティングで次のプロジェクトへ循環
記録したドキュメンテーションは、保育者同士の「振り返りミーティング」において活用され、子どもの学びを深掘りする材料となります。子どもたちの対話や表現をもとに、「この発言にはどんな意味があるのか?」「次はどんな素材や環境が必要か?」といった議論を通して、次の保育計画へとつなげていく循環型のアプローチが特徴です。
こうした継続的な振り返りは、保育者自身の専門性向上にも寄与し、チームとしての連携強化にもつながります。また、ドキュメンテーションを起点にして、子どもとの新たな対話が生まれることも多く、保育がより豊かで即興性のあるものになります。
記録を「残す」から「活かす」へと転換するこの仕組みは、レッジョ・エミリア・アプローチの根幹ともいえる実践です。
世界への広がりと日本の導入事例
特に北米・北欧諸国では公的教育の中に取り入れられるなど制度的な広がりも見せており、日本国内でも私立園や企業主導型保育施設が実践を開始。近年はICTの進化により、国境を越えた子ども同士の共同プロジェクトなど、新たな展開も期待されています。
米国・北欧の公立園がカリキュラムに採用
アメリカでは、レッジョ・エミリア・アプローチに関心を持つ教育関係者が存在し、一部の研修プログラムや実践例が報告されています。しかし、州の基準や評価制度の制約により、公立学校での実装は限定的で、主に私立学校での実践が中心となっています。
スウェーデンでは、1998年の国家カリキュラム策定時にレッジョ・エミリアの教育理念が大きな影響を与え、「レッジョ・インスピレーション」として知られる独自の発展を遂げています。自治体レベルでレッジョ・エミリア方式の導入を決定する仕組みがあり、実際に多くの自治体で実践されています。デンマークでも一部の園でレッジョ・エミリア・アプローチを実践する事例が報告されています。
北欧諸国では、もともと子ども中心の教育や民主主義的な価値観を重視する土壌があり、レッジョ・エミリア・アプローチの理念と親和性が高いとされています。特にスウェーデンでは、環境構成やドキュメンテーションなどの手法が既存の教育実践と融合しやすい環境が整っています。
国内では私立こども園・企業内保育が実践を開始
日本国内でも、2010年代以降レッジョ・エミリア・アプローチへの関心が高まり、都市部を中心に私立の認定こども園や企業主導型保育施設での導入が始まっています。中でも特徴的なのは、少人数制・異年齢保育をベースにした園や、探究型カリキュラムを取り入れている保育施設での実践です。
これらの園では、ドキュメンテーションによる振り返りや、アトリエスタイルの環境設計が導入されており、子どもの主体性と創造性を重視した日々の保育が行われています。また、研修機関や大学との連携により、保育者の専門性向上や理論理解のためのサポート体制も整いつつあります。行政による制度的な支援はまだ限定的ですが、園単位での草の根的な実践が、今後の広がりを支える基盤となっています。
ICTツールによるオンライン共同プロジェクトの可能性
近年、保育分野全体でICTを活用した教育実践が注目されています。レッジョ・エミリア・アプローチにおいても、1980年代からデジタル機器を教育に取り入れてきた歴史があり、現在も子どもたちがデジタルツールを活用しながら自然との関係性について探究する実践が行われています。
コロナ禍においては、レッジョ・エミリア市でも保育者たちがオンラインで子どもたちとのコミュニケーションを継続し、質の高い教育の継続を模索していました。また、日本の保育現場では、クラウド型のドキュメンテーションツールや動画配信プラットフォームを活用して、子どもの学びのプロセスを家庭とリアルタイムで共有する取り組みが実用化されています。
さらに、タブレットやデジタルカメラを用いた子ども自身による記録活動も導入が進んでおり、自己表現の手段として活用されています。デジタルツールが保育環境に提案されることで、子どもたちの表現が絵画からデジタルへ、またその逆へと自由に行き来し、創造的な活動が展開されています。
このようなICTの活用は、物理的な制限を超えた新しい学びの可能性を示しており、今後の幼児教育の発展に寄与することが期待されています。
まとめ
レッジョ・エミリア・アプローチは、「子どもは100のことばをもつ」という哲学のもと、子ども一人ひとりの主体性や創造性を最大限に尊重する幼児教育の実践モデルです。教師は単なる指導者ではなく“共に学ぶ存在”として、子どもの気づきや探究に寄り添い、対話を通じて学びを深めていきます。また、環境そのものが“第三の教師”として重要な役割を果たし、子どもたちの自由な発想や表現を引き出す工夫が随所に凝らされています。
このアプローチは世界60か国以上に広がりを見せており、日本でも私立こども園や企業内保育施設などで少しずつ実践が始まっています。ドキュメンテーションやアトリエ空間の活用、ICTによる記録と共有など、現代の保育環境に柔軟に適応しながら、その本質的な価値を保ち続けています。
保育者としてレッジョ・エミリアの考え方に触れることは、子どもの学びだけでなく、自らの保育観を見直す機会にもなります。
未来志向の保育実践を目指すうえで、一つの大きなヒントになるアプローチといえるでしょう。